ウォルソール


ウォルソールは、エリザベス1世やヘンリエッタ・マリアが訪れた街です。

ヘンリエッタ・マリアは1643年に、コールドモア地区の「ホワイト・ハート」で一泊したことでも知られています。

メアリ1世によって1554年に創立されたクイーン・メアリーズ・グラマー・スクールは、テューダー・ローズと女王の母キャサリン・オブ・アラゴンのスタッフォードシャー結びにされました。

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現在でも、一束の矢をあしらった女王の紋章が残っています。

そして、ウォルソールでは、産業革命時に人口が急増した歴史があります。

ウォルソールの人口は、16世紀の2000人からおよそ200年後には8万6000人以上になりました。

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町内では鞍、鍵、留め具、メッキ加工品など、さまざまな製品がつくられていました。

近郊で行われていた石灰岩の採掘も、町に大きな富をもたらしました。

そして、1821年、セント・マシューズ教会の鐘楼と内陣以外の部分が、フランシス・グッドウィンが設計して2万ポンドで建て替えられました。ウォルソール市は1824年、街灯とガス工場を整備して都市基盤の向上を図るよう国会から指示を受けました。ガス工場は1826年に建設され、4000ポンドが費やされました。市は貧困に苦しむ女性のために、1825年にタイルとレンガづくりの救貧院 (アルムスハウス)を11箇所に設けられました。これらの施設はモレズリーのアルムスハウスと呼ばれました。。

1848年に承認され、1850年に改正された「ウォルソール向上・市場法」では、救貧施設の提供や下水道網の改善・拡張、行政長官にガス工場新設の権限を委ねることが明記されていました。1847年10月10日には、ガス工場で爆発事故が発生し、1人が死亡したほか、セント・マシューズ教会の西向きの窓が割られました。

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ベスコットには1838年にグランド・ジャクション鉄道が通じていました。ウォルソールへの延伸は運河の開通から48年後の1847年まで待たねばならなりませんでした。1855年には初の新聞「ウォルソール新報・南スタッフォードシャー新聞」が発刊されました。

第一次世界大戦の時には、ウォルソール出身の戦死者は2000人を超えました。戦死者の合同記念碑は、ツェッペリンL 21号が爆弾を投下しました。当時の市長夫人以下2名が亡くなった現場にあります。大通りの角、家具店の向かいのクラブでした。この事件を追悼するプレートがはめ込まれています。ヴィクトリア十字章を受章したジョン・ヘンリー・カーレスはこの町の出身でした。